40『迷いは躊躇い』 彼等は強い。 何故なら迷いがないから。 恐れがないから。 自分達が傷付くことに対する恐れだけではない 大切な人達を傷つける事にも迷いがない。 彼等を止めるには決意が要る。 大切な彼等を傷つける覚悟が要る。 思い出せ、私達にとって今、一番大切な事を。 その闘いは、女性魔導騎士の高く良く通る掛け声で始まった。 「“攻の一式”詠唱開始!」 『光よ並びて走れ、我が敵の元に! 向かう方向は皆同じ、決して交わる事はない!』 声が揃った詠唱と共に、生徒達の目の前に光の玉が二十ほど並ぶ。 「放てッ!」 『《平行する光線》!』 ジェシカの鋭い声と共に、その光の玉は全て光線と化し、ディオスカス率いるクーデター勢に襲い掛かる。その光線の進行上にいた者達はそれぞれ、防御魔法を唱えて、それを防ぐが、思った以上に威力が高く、五十の内二十名がよろめいてしまう。 しかし残る三十名が攻撃魔法を唱えはじめた。 それを見たジェシカが、再び号令をかける。 「“防の三式”詠唱開始!」 『我が前に立ち上がれ炎! そして築け、攻める者を防ぎ燃やす《赤壁》を!』 詠唱の終了と同時に、生徒達の足下から、大きな炎の壁が出現し、クーデター勢の放った魔法をかき消してしまう。 しかしこの魔法はそれだけに留まらなかった。生徒達が揃って手を前に押し出すような動作をしたかと思うと、その壁がクーデター勢の方に倒れ掛かったのである。この魔法《赤壁》は一度、魔法を受けると、その魔法を放った者の方向に倒れ、その炎をもって攻撃するという反撃の効果をもっている攻防一体の魔法なのだ。 それも何とか防御魔法を使って受け止めるクーデター勢だったが、やはり受け止めるのが精一杯で今度は全員が反撃不能の状態になってしまう。そこに、集団魔法には参加していなかった、カーエス、エイス、ミルドの主力遊撃班が突撃する。 「《鷲掴む炎》よ、その灼熱の炎によりて我が敵を燃やし尽くせ!」 「大地を揺るがすは地上の波! そのうねりを持ちて飛ばすは《岩飛沫》!」 「風の中を走れ、疾く鋭く! 《かまいたち》!」 それぞれ炎が、岩が、そして真空波がクーデター勢を襲い、防御が間に合わなかった五人ほどが脱落する。 その間、ジェシカもただ見ていたわけではない。指示するのではなく、自分の魔法を唱えようとしている。 「今をもって他はなし! 同志達よ、心を合わせ立ち上がれ!」そう言って、ジェシカは懐から出した紙を地面に落とし、槍をその上から突き立てた。「《群起》!」 魔法の完成と共に、槍が貫いた紙が光りはじめ、突き立てた槍を中心に複雑な魔法陣が描かれていく。魔法陣が完成すると、その光で描かれた線が一層強く輝き、その上に立つ生徒達を明るくて照らし出した。 「“攻の四式”、詠唱開始!」 ジェシカのかけ声を受け、生徒達が空に手を掲げて唱える。 『魔に怒れ、雷雲! 悪に叫べ、雷鳴! そして、罪に降れ……』 そこで、一斉にクーデター勢を指差し、詠唱を完了させる。 『《雷撃》!』 魔法の発動と共に、黒い雷雲が上空に立ち篭め、雷の雨を降らしはじめた。今のところは、対象であるクーデター勢の周囲にしか降っていない。そうやって、対象を一定の範囲から逃がさない効果があるのだ。 周囲に外れて落ちる雷は大きく地面を抉り、その威力の大きさを現わす。本当に自分達を狙って落ちてくる《雷撃》の威力はまだ大きいはずだ。 元々、大掛かりな魔法ではない。そして“集団魔法”で威力を高めたからと言って、ここまで威力が高まるのも不自然だ。それもジェシカの魔法の為だった。集団対象の補助魔法《郡起》。範囲内にいる、味方の魔力を大幅に上げる魔法である。 集団で唱える事によって高めた魔法の威力を、さらにジェシカの補助魔法で高める。それが、今回生徒達がとった作戦の基本戦術だった。 そして、遂にクーデター勢の真上から大きな雷が落ちてくる。魔法の規模の大きさにクーデター勢は一応防御魔法を唱えるものの、それで防ぎきれる自身はなさそうだ。 稲光りに、一瞬場は白い闇に閉ざされ、轟音がなる。 閃光に奪われた視力が回復した者達が見た光景は、彼等が予想した光景とは全く違っていた。クーデター勢全体を、石で出来たドームがすっぽりと覆っていたのだ。卵が孵化する時のように、その石のドームに亀裂が走り出し、ぱぁん、という音と共に割れ、中からは全く無傷のクーデター勢が姿を現わした。 使われた魔法はおそらく《抱き包む石》だろう。本来、自分個人のみが対象になる魔法だが、アレンジで一集団を包めるほどに効果範囲を広げたのだろう。 こんな真似が出来る人間を、カーエスはあの中では一人しか思い浮かばない。 「……これで終わりか? 生徒諸君」 クーデター勢の真ん中で杖を掲げて立っていたのは、カーエスの予想通りディオスカス=シクトだ。 必殺の一撃だったはずの攻撃が防がれ、半ば呆然としている生徒達に向かってディオスカスは続けた。 「やれやれ、危ないところだったではないか。あのままでは君達の敬愛している師の何人かは焼けこげて死んでしまっているところだ」 「不味い、聞くなっ!」 ジェシカがディオスカスの意図を察して、全員に言うが、ディオスカスは構わずに続ける。 「何も考えずに、大きな魔法を使って浮かれているようだが、その魔法は人を殺すには十分だと言う事を忘れないでくれ」 ディオスカスの言葉に、生徒達が顔を見合わせる。その表情は明らかに同様に染まっていた。時折、こちらに視線を送っているが、その先にはおそらく彼等の師が立っているのだろう。 自分の言葉がもたらした効果に、ディオスカスは満足げに笑みを浮かべる。先ほどは、味方の迷いを断ち切るために演説などをやったが、今度はその逆、敵に迷いを生ませるために気付かせたのだ。“集団魔法”は一個団体としての精神の統一が不可欠である事は明らかである。こうして少し心を惑わせるだけで簡単に魔力化できるだろう。 あと、一押しで簡単に生徒達は落ちる。 「攻撃だ」 短く自ら率いる魔導士達に命じる。 迷いのない魔導士達は、返事をすると、めいめい得意な魔法の呪文詠唱を始めた。 「く……、“防の一式”詠唱開始!」 ジェシカが号令をかけると、生徒達は我に返ったように詠唱を始めた。 『我が前に構成されし不可視の壁よ、向かいし魔を《遮断》せよ!』 魔法が発動すると、生徒達の前にオーロラのような光の幕が引かれたが、ジェシカがそれを見て眉を潜めた。薄すぎるのだ。やはり、心を乱した状態ではまともに“集団魔法”は機能しなかったらしい。 数秒後に、クーデター勢の魔導士達の魔法が放たれ、生徒達の張った《遮断》が迎え撃つが、呆気無くその防御魔法は撃ち破られ、クーデター勢の魔法が生徒達に降り注ぐ。 それでも多少は弱まったか、幾人かの生徒を除く生徒達が防御魔法を各自唱え、威力をいなす。しかし、おそらくは下級魔導士であろう、何人かの未熟な生徒達は反応が間に合わず、《遮断》で弱められているとはいえ、熟練した魔導士の放った魔法に吹き飛ばされてしまった。 その様子を見た残りの生徒達にさらなる動揺が走る。やらなければやられる。しかし自分達の師匠を攻撃したくない。勢いで出てきたが、自分達が負けた時の事を考えていなかったが、今、その可能性を見せつけられて、今さらながらに恐ろしくなったのだ。 恐怖感、それがディオスカスの狙ったもう一押しだった。もう生徒達は落ち着きを取り戻せまい。確かに、“集団魔法”が持続すればあちらにも勝機はあったかもしれないが、もはやそれは使えまい。 「波状攻撃を仕掛けろ。絶えまなく攻撃していればいつかは崩れる」 ジェシカは、クーデター勢の魔導士達が端から順番に、輪唱のように魔法を唱えはじめたのをみて、舌打ちしたい衝動に駆られた。 この作戦の肝は、こちら側の攻撃のリズムを保ち、あちらのリズムを乱す事だ。“集団魔法”は魔法を強化する事ができるものの、どうしても大掛かりな者になってしまうなど、小回りの利かないところがある。だから波状攻撃などで連続して攻撃されると、防ぎきれない。 “集団魔法”だけではなく、個別に魔法を使って防ぐ事も可能だったのだろうが、今回は作戦を練るのに時間がなく、行動に対する符号を決められただけでも上出来だった。 このように、通常の状態でも波状攻撃はきついのに、今生徒達が浮き足立っている状態でそれをされてはそれこそひとたまりもない。 今とれる策は一つしかない。そしてそれを実行できると確信できる人間は一人しかいない。 「カーエ……」 その名を呼んで振り返ろうとした時、彼女の目の前を何かが横切った。黒く短い髪に眼鏡を掛けた男だ。そして彼女が口に仕掛けた名前の持ち主でもある。 その男、カーエス=ルジュリスは、生徒達の一番前に出て来ると、向かい来る魔法を前に、詠唱を始めた。 「火には水となり、風には土となる、斬る者あれば固くなり、殴る者あれば弾力を得ん、その特性は臨機応変、行うは武力の妨げ。我が纏いし《七色の羽衣》は如何なるものも拒絶する!」 彼が行使した魔法の発動に伴い、彼の前には虹色の光の膜が現れ、彼を含め、後ろにいる生徒達をカバーするように広がる。その膜に、波状攻撃の第一派が届くが、呆気無くこの光の膜に弾かれてしまった。 カーエスは、その魔法を維持したまま、肩越しにジェシカに視線を送る。 「三分! 三分やるからどないかして、体勢立てなおせ!」 カーエスの提案に、ジェシカは驚きに眉を持ち上げた。それこそ、ジェシカの考えていた事だからだ。あそこで、とれる策は一つだけ。誰か卓越した者に守りを任せ、その間に体勢を立て直すのである。 その守りを任せられる能力をもっていそうな者は幾人かいたが、確信出来るのはカーエスしかいなかった。 ジェシカは、カーエスにも見えるように頷いてみせると、生徒達を見回して言った。 「……お前達はお前達の師匠を傷つけたくない、そうだな?」 ジェシカの問いに生徒達は頷く。 「それは、お前達にとって師が大切な人間だからだろう?」 二度目の問いにも、生徒達は頷いた。 「では、お前達は師匠を一体どうしたいんだ?」 三度目の問いには、答える者はいない。ただお互い顔を見合わせているだけだ。 「例えば、お前達の父が罪を犯そうとしていた事を知る。父の決意は堅く、説得では止められない。さぁ、どうする?」 ジェシカが例を出すと、生徒達は彼女が何を言わんとしているのかを察した。 その答えは、“力づくで止める”しかない。 「ここでお前達がお前達の師匠を止めなければ、もっとたくさん、大切なもの、大切な人々が傷付く事になる」 先ず、その先陣を切るのがエンペルファータになるだろう。“ラスファクト”、“英知の宝珠”という損失はエンペルファータにとって、あまりにも大きすぎる。この街には大きな混乱が訪れるだろう。それからすぐに、“大災厄”という明確な滅びが訪れるのかもしれない。もうこの街を護る不可視の屋根は存在しないのだ。 そして、ウォンリルグとの戦争になれば、魔導研究所で開発された魔導兵器によって多くの人々が殺される事になる。 彼等をこのまま見逃す事は、均衡を保っていた世界のバランスを崩し、予測不可能な状態に陥れる事になるのだ。 「いわば、ここで彼等を止められるか否かで、私達、それから私達の大切な者達の未来は大きく変わる」 小さな駅前広場に限られた闘いかもしれない。人数も本物の戦争とくらべると桁違いに少ない。しかし、この小さな闘いの勝敗は世界の分岐点とも言えるものだ。 「ここでもう一つ聞く。お前達の師はお前達の魔法ごときで死ぬような実力の持ち主か? それともお前達が手加減しても勝てるような相手なのか?」 生徒達が同時に首を降る。 「ならば遠慮は要らん! お前達が師を想うのならば、私達は彼等を止めなければならない! 私達はお前達の師匠を倒さなくてはならない! そして……そしてお前達はお前達の師を超えなければならない!」 熱が入りはじめた言葉に、生徒達が力強く頷く。その瞳から迷いが消えていく。 そして彼等は、再びクーデター勢に向かい、陣形を組み直した。 「“攻の三式”詠唱開始!」 『天へと届け冷気! その冷たさをもちて形作るは氷塊! 猛威を知らすべく我が敵の上に降り注げ、《凍てつけし飛礫(つぶて)》!』 綺麗に揃った声は、今度こそ完璧に発動し、白く輝く魔力が敵の頭上に向かった。次の瞬間、その魔力から生み出された特大の雹がクーデター勢に降り注いだ。 その防御の為、クーデター勢の攻撃は止み、カーエスは《七色の羽衣》を解く。 「“攻の一式”詠唱開始!」 『光よ並びて走れ、我が敵の元に! 向かう方向は皆同じ、決して交わる事はない!』 闘いのはじめに唱えた魔法であるが、現在は《郡起》によって強化されているため、数は倍の四十に増えている。 「放てッ!」 『《平行する光線》!』 魔法を発動した瞬間、魔力の光線が、クーデター勢に雨霰のように降り注ぐ。素早い魔法の発動であったため、あちらの防御は間に合わないはずであったが、待たしてもディオスカスが行使した全体防御魔法によって、弾かれてしまう。 「“防の三式”詠唱開始!」 『我が前に立ち上がれ炎! そして築け、攻める者を防ぎ燃やす《赤壁》を!』 あちらはまだ攻撃体勢に入っていなかったが、それでもジェシカは防御魔法の行使を命じた。生徒達の足下から大きな炎の壁が出現する。 「続けて“防の五式”、対象は水!」 『出で現れよ、《選別する鏡》! 我の望むもの“水”を跳ね返せ!』 《赤壁》の前に、もう一枚の障壁が現れた。そこに次々と襲ってくるのは水属性の魔法である。指定により、対象の属性のみ跳ね返す性質を持つ《選別する鏡》はその魔法を次々と弾き、その術者へと返していく。 《赤壁》は攻防一体の便利な魔法であるが、多くの炎属性魔法と同じように水属性の攻撃に弱い、どんなに弱い水属性の魔法でも一度うければ反撃をせずに消えてしまうのだ。 今、ジェシカがとった策はクーデター勢の攻撃前に《赤壁》を張らせる事で、クーデター勢に水属性の魔法を使わせ、特定の属性の魔法“しか”弾けない《選別する鏡》で跳ね返すという策だった。万が一、他の属性を使われていたら、《選別する鏡》は素通りしただろうが、その後ろには《赤壁》が控えているという保証付きの策だ。 が、跳ね返した水の魔法も、ディオスカスの防御魔法で遮られてしまう。 ジェシカは、内心で舌打ちをすると、大きく息を付いてその名を呼んだ。 「カーエス」 その声は小さかったはずだが、それでもカーエスはその声を聞き付けて傍によってくる。 「何や?」 「ディオスカスを頼む。このままでは埒があかない。奴一人を抑えれば、勝機が見える」 先ほどからの攻防を見ていれば、クーデター勢の中で誰が一番強いかは目に見えてくる。そしてディオスカスはあちらの指揮官だ。それを倒せばクーデター勢は一気に崩れるだろう。 「……よっしゃ」と、カーエスは頷き、クーデター勢の方を向いて歩き出した。 心無しか、疲れが彼の背中に見えた。それもそうだろう。今朝からはずっと闘い通しだった。先ほども、大きな防御魔法で時間を稼いでくれた。魔導騎士で補助魔法だけ唱えていればよかった自分と違い、魔法戦を専門とする彼の精神的な疲れは自分の比ではないはずだ。 それでも、ジェシカには、彼しか頼れなかった。 「カーエス」 何か声を掛けなければ、と思い、ジェシカはとりあえず彼の名前を口にして呼び止めた。 カーエスは何も答えず、立ち止まって、彼女を振り返る。 眼鏡越しに見える黒い目を見て、ジェシカは不意に、眼鏡を外した時の蒼い目を見たくなった。あの全てを見透かすような澄んだ碧眼で、今の自分の心の中を読み取って欲しいと思った。 何度もこき使う事になってしまったという謝罪の心。 そして、その度に期待に応えた事に対する感謝の心。 今は感じている、カーエスの強さに対する信頼の心。 それを、言い表す言葉が上手く見つけられないから。 「お前の勝ちは計算に入れておく」 やっと、絞り出した言葉に、カーエスは一度ジェシカの元に戻ってくると、眼鏡を外し、それを彼女に差し出した。 そこに現れた碧眼で彼女を見つめて言った。 「預かっといてんか。すぐに戻ってくるよって」 そう言ったカーエスの表情は頼もし気で、疲れなど問題に見えなかった。 ジェシカも、精一杯の笑みを返すと彼の眼鏡を受け取る。 遠ざかっていくカーエスの背中を見ながら、ジェシカはそれを大事に胸元にしまった。 |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
Copyright 2003 想 詩拓 all rights reserved.
|
|||||